News: HARDBOILED

ハードボイルドにニュースの解説をします。

2018年2月19日 米フロリダ州の高校での銃乱射事件を受け、銃規制強化を求めるデモ

朝日新聞】政治家に「恥を知れ」 現場近くで銃規制強化求めるデモ

 米フロリダ州南部の高校での銃乱射事件を受け、現場近くの拠点都市フォート・ローダーデールで17日、銃規制強化を求めるデモ集会が開かれた。事件が起きた高校の生徒も参加し、トランプ大統領ら規制に消極的な政治家らに「恥を知れ」と訴えた。

 元生徒のニコラス・クルーズ容疑者(19)が半自動ライフル銃を乱射した事件では、生徒ら17人が犠牲になった。CNNテレビによると、集会で登壇した同校生徒のエマ・ゴンザレスさんは「友達と週末の予定を立てる方が銃を買うよりも難しいなんて到底理解できない」と、同州の銃規制の緩さを批判した。

 米国では乱射事件のたびに規制強化を求める声が強まるが、トランプ大統領共和党議員らに献金し、強い政治力を持つ「全米ライフル協会」(NRA)の抵抗で進んでいないのが現状だ。ゴンザレスさんが「NRAから献金を受け取っている政治家は恥を知れ」と気勢を上げると、参加者も同調した。

(https://www.asahi.com/articles/ASL2L43P4L2LUHBI00L.htmlより抜粋)

 

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(画像はWikipediaの同事件の項目より、現場に集結するパトカーと救急車)

 


 先日の米フロリダ州の高校で起きた銃乱射事件を受け、アメリカの銃規制が進まないことについて触れる報道が日本国内でも増えている。今日の朝日新聞では事件現場近くで銃規制強化を求めるデモが行われたことを取り上げている。デモ参加者はこのような事件が起こっても銃規制強化を打ち出さないトランプ大統領を批判している。
 日本でこのようなニュースを眺めていると「なぜこんなに悲惨な事件がたびたび起こっているのに、アメリカは銃規制に踏み切らないのだろうか」と思ってしまいがちだ。しかしその背景にはそれなりの理由がある。

 

 まず、テレビ等で指摘されている通り、トランプ大統領は大統領選挙の時に全米ライフル協会の支援を受けていた。この全米ライフル協会は政治の世界の大きな影響力を持っており、ここに配慮して大統領は銃規制を言い出せないのだという論である。
 これは確かに一つの側面ではあると思う。しかしトランプ大統領は自信のツイッターで「(野党の)民主党オバマ政権で上下両院の多数を押さえていた時になぜ銃規制の強化をしなかったのか。本当はしたくないからだ。(規制強化の訴えは)口だけだ」とツイートし、野党からこれについて突っ込まれることをけん制している。このトランプ大統領の意見にも、言われてみれば確かにと頷かせる説得力がある。野党や野党支持のマスコミはトランプ大統領を批判しにくくなった。
 そもそも、日本人は銃と聞くと「人を殺す道具」と思ってしまいがちだ。しかしアメリカ人にとっての銃は「護身具」であるという側面も強い。
 アメリカのように銃が既に流通してしまっている社会の場合、トラブルが起きた時に相手が銃を持っている可能性がある。このとき自分が銃を持っていない場合、相手に対して一方的に弱い立場となる。交渉であれば相手の言い分を一方的に飲まなければならない状況だ。しかしそこで自分も銃を持っていれば、相手の銃の権威はなくなり、対等な立場となる。銃を実際に打つかどうかは関係ない。互いに持っていること自体が平等の条件であり、片方が持っていて片方が持っていない状況では銃の引き金が引かれるまでもなく、弱者は一方的に強者の言いなりになるしかないのだ。
 もし仮に現在の、すでに銃が流通してしまっている社会で銃の所持規制が敷かれたとしたら、を考えてみよう。善良な一般市民は皆銃を手放す。しかし、銃乱射事件を起こすようなガラの悪い者、あるいは他の犯罪者、日本で言うヤクザのようなや暴力団体など、言わば「治安の悪い人たち」は銃を手放すだろうか? 隠し持っているのではないか? つまり、善良な一般市民の護身具を取り上げる結果にしかならないのだ。これではアメリカが現実的に銃規制を強化できるはずがない。
 理想は皆で一斉に放棄することだが、一人でも抜け駆けして隠し持っている者がいれば、秩序と治安が崩れてしまう。これは核兵器廃絶問題と似ている。一国だけが核兵器を持っている状態では他国は言いなりになる事しかできない。しかし多数の国がお互いに所持している状態では抑止力となり、使う使わないにかかわらず所持していること自体が自衛となり、対等な関係を示す道具になる。
 是非は別として、現実問題としてアメリカの銃規制は非常に難しい。日本人に染みついた「和を持って尊しと為す」の考え方だけで安易に銃規制が必要だと言うのではなく、よりリアリスティックに考える必要がある。